野焼きに向けてのラストスパート

今年の制作活動は昨日で一応、一段落しました。今まで紹介してきた土器の他にもたくさんの土器が出来上がりました。ぎりぎり、昨日出来上がり、これから家で模様をきれいにしたり、乾燥を進ませたりしてと最終調整に入る土器もあります。これまで紹介してきた土器以外で、どのような作品があるかご紹介します。

雑感:今年はとても暑い夏で(去年も言ってたかな?)体調を壊した仲間も何人かいましたが、それにも負けず、先日は薪の調達、運搬、積み下ろし作業を多くの仲間ででき、何とか来週の野焼きにこぎつけることができました。10日の野焼き、怪我のないように気をつけねば。「足と心をふらつかせず、地に足をしっかりつけて火に向き合います”」私の決意でした。いつも、力を抜いた全力投球を心がけている”ヅク”がない私です。

土器を作っていくということ その5

今までご紹介したように、井戸尻考古館のものや、日本全国の博物館にある縄文土器をまねて作ることが多いのですが、オリジナルなものを作ることもあります。今回は全くのオリジナルな作品です。しかも、結構、大型な土器。エネルギーに満ち溢れています。ご覧ください。

つぼ型に立ち上げて下には半載竹管の模様が入っています。角も大小二本。どんなふうになっていくのでしょう??

完成したオリジナルな土器。MMさんはこの土器の前に井戸尻考古館の水煙土器を作っていました。渦巻き模様は同じようですが、流れのある模様がついてます。「水流土器」とでも名前を付けたい土器ですね。

おまけ:来年の干支は”龍”

上の作品はSUさんの龍の小物入れ。M先生に手ほどきを受け、ちょっとお化粧してかわいい小物入れの出来上がり。左の龍は、後ろ姿が憂いに富んだ佇まいの癒し系な龍くんです。

土器を作っていくということ その4

今回は井戸尻考古館収蔵の土器ではなく、現在、名古屋市立博物館に展示してある土偶付き深鉢です。「深鉢のふちこさん」ですね。

縄文土器の口縁部に、全身像の土偶が付けられるものである。本資料のような土偶を付けるものは時期と分布範囲が限られ、数は多くないが、縄文前期から 中期の長野・山梨・東京といった中部山岳から関東に集中している。用途はあきらかでないが、祭祀にともなう神人共食の器とみなす説もある。縄文人の精神世界を窺わせる資料である。土偶付深鉢 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)

縁の飾りに下の左側のように顔面がついているもの(岡谷市小尾口海戸遺跡)は多いのですが、身体まで表しているのはこの深鉢と、下右(相模原市大日野原遺跡)くらいでしょうか?

それでは、制作過程を見て行きましょう。

完成しましたね。画像では見にくいかも知れないのですが、器面には全面に縄文が施されています。お顔といい、おしりといい、とってもかわいい愛すべき土偶ちゃんです。

おまけ:物入れのふちこさんが言ってます。     「ちょっと何か入れてみて!私がしっかり見張ってるから」

土器を作っていくということ その3

3回目は下の土器です。この土器は底がなく、おそらく、蒸し器形土器の上部だけが残ったのではないかと思われますが、きれいな作りで魅力的な土器です。何回かお借りして、たくさんの仲間が作ったことのある土器です。

尖峰状突起付土器(井戸尻Ⅲ式) 井戸尻遺跡3号住居址出土

井戸尻3号住居址から出土した、井戸尻Ⅲ式土器の標式資料とされている土器セット20点のうちの一点である。四方は三角に尖り、真上から見ると方形をなす。ただし、その一対は欠損している。口縁部は内湾し、方の中に円が存在する。蛇頭と双環がつけられ、その下に太い一本の隆帯が下がり、この隆帯には棒状工具を押し当てて刻みがつけられている。地文は半截竹管でつけられた条線で、口縁部と双環には太いうどん状の粘土紐が貼られている。

作り始めの頃です。3人のお仲間が作っています。

半載竹管(竹を縦半分ほどに割ったもの)で、壁面の筋を入れ、説明文にあるように、縁には粘土紐を列に貼り付けます。

完成間近です。小松館長のお話にもあったように、中もきれいに整えます。手に持っている布のようなものはセーム革で、水を含ませたこの革で撫でて仕上げをします。

完成しました。シンプルな模様ですが、とても丁寧に施されています。先ほど書きましたようにこの土器は下部が見つかっていませんが、この作者は下部をどのように作ったか、知りたいものだと思います。

おまけ:小学生の大胆

完成らしい。ウルトラマンと記念撮影

土器を作っていくということ その2

今回は、考古館からお借りした土器の2点目、3人が作っていた菱形蛙文揚底鉢です。

菱形蛙文揚底鉢(井戸尻Ⅲ式) 井戸尻遺跡3号住居址出土

井戸尻3号住居址から出土した、井戸尻Ⅲ式土器の標式資料とされている土器セット20点のうちの一点である。コロンとした鉢に揚げ底がつけられている。鉢または甕に揚げ底をつけるのはこの時期の土器の特徴。内湾する素文の口縁の下の口径部胴部は、うどんほどの太さの土紐を貼り付けて波線や紐を結んだような文様を描き出し、その後地文に条線をつけている。残念ながら半分ほどが失われている。

この土器の底部分は上げ底なので、粘土紐で輪っかを作ってから始めます。球体に広がっていく部分まできたら、お皿を乗せて底とし、そこから球体状に粘土を積み上げ、縁の部分でくびれを作り、さらに縁部を積み上げて、このかわいらしい形の完成です。

模様を入れていく時に、まず、線を描いていきます。この土器は細い粘土紐で描く模様と沈線とで描かれています。浮き上がった部分と、沈んだ部分で飾られ、縄文は施されていません。

粘土紐で隆線を、竹べらで沈線を描いていきます。粘土紐を張り付けるときは、とれてしまわないように気を付けなくてはなりません。”どべ”と言って、粘土を水でゆるく溶いたものを土器本体と紐につけ、接着剤として貼り付けます。

完成しました。

追伸:19日に恒例のハスのかたく取りをしました。胴長を履いてはす田に入る役、それを受け取る役、整理する役とみんなで分担して、2時間ほどで終了しました。今年は例年になく暑い日で、手早く終ることができて良かったです。

ハスの葉もまだ青々し、咲いている蓮の花もあり、花びらの散った花托もたくさん顔を出していましたから、さぞかし、花の季節はきれいだったでしょう。

土器を作っていくということ その1

ブログ担当者のあれやこれやで、6月以来3か月ぶりの更新になってしまいました。9月の半ばにもなれば、お仲間の中には、2点目3点目に着手している方もいます。そこでお仲間の制作過程を振り返って見たいと思います。

初めに紹介するのは、今年考古館からお借りした土器の一つです。

素文内湾口縁深鉢(井戸尻Ⅰ式) 井戸尻遺跡4号住居址出土

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素文で内湾する口縁には、尖峰状の突起が一つつけられている。尖峰状の突起には環形や三叉文がしるされ、円い穴は深くくぼんでいる。口縁の下には傘状の凸帯がめぐり、そこから凸線が、あるものは垂れ下がるように、あるものは「し」の字を描くようにつけられている。胴部の地文は半截竹管による条線や縄文がつけられている。器形・文様ともにこの時期に特徴的な煮炊き用の土器。

土器の説明は、井戸尻考古館学芸員の平澤さんにお願いしました。それでは、この土器の制作をしたお仲間の足跡をたどってみましょう。

左IMさんは3回目、右TKさんは1回目です。この土器の形の特徴は下部のくびれ方、二人ともピッとよくできています。(6/13)

THさんも上まで積みあがりました。IMさんは一歩進んで模様を入れ始めています(6/19,20)

模様を入れ始めると”目の色が変わる”?一つ一つの模様を追っていくのは時間がかかります。でも、楽しいものです。6月終わりころから7月いっぱいかかっていたでしょうか?

7月25日に完成した「素文内湾口縁深鉢」高さも、40cm以上あるので大作です。お疲れ様😁

今年度の制作活動開始です

今年もほのおの会の活動が開始でき、うれしい限りです。

5月23日に勉強会として井戸尻考古館で小松館長から「井戸尻遺跡群が栄えていた時代の日本列島」と言うことで、同時代にあった中部高地や日本列島に点在する遺跡に出土する品々の類似性・相違性などについてのお話を伺いました。

ほのおの会は土器作りのサークルではあるけれど、と言って遠慮がちに当時の生産活動の特質を考えるためには欠くことができない石器のお話し、中心的な土器の文様、それがアレンジされていったであろう土器の文様、と、縄文中期と言う時代を鳥瞰図的に見たお話が大変興味深かったです。

6月6日、7日から制作活動を開始しました。まず始めにお借りする土器は3点井戸尻遺跡出土の土器です。

いつものゆとりろ、いつもの仲間と新しい仲間、今年もお世話になる先生です。

まずは粘土を練るところから始めます。100回くらいは練らないといけません。今年の粘土は水分が多くて、しばらく、乾かさなくてはなりませんでした。硬いと成形しにくいし、柔らかすぎても積み上げていけません。自分で何とかしなくては!!粘土の扱いは、ほんと、試行錯誤です。

土器はこのような形からスタートするものが多いですね。底を作り、粘土紐を積み上げていきます。まっすぐに立ち上げたり、広げていったり、つぼめていったりしながら形を整えていくのですが、忘れてならないのは土器の内側。どんなに装飾が施されている土器でも、食器であったり、煮炊き用の用具であったわけで、内側はとてもきれいに整えられています。見えるところの施文も丁寧にしなければなりませんが、この見えない内側をなおざりにはできないということを、土器片一つ一つが教えてくれています。

2018年の勉強会の時、土器片について語ってくださった小松館長が教えてくださいました。「内側を丁寧に。縄文時代に生きた人の思いを感じながら土器作りをしてください」と。

エピローグからプロローグへ

作品の集大成である野焼きを終えて終了したかに見えた今年の活動でしたが、来年に向けての序章「粘土作り」を忘れてはなりません。今年は13人の会員以外に、賛助会員の方たちも多く作品作りに励んだので、100kg以上の粘土を使い、在庫0状態になりました。頑張って粘土を作らねばと、先週今週、火水の4日間、皆で精を出してやりましたよ、粘土作り。

前回のブログでもお伝えしましたが、石取り作業です。石があると機会に挟まり停止してしまうため、細心の注意で石を除去すべく、土をおせんべい状態にしていきます。

ここでは、土・砂・少量の陶土を軽く混ぜ合わせています。砂は土に対して2割ほど陶土はほんの少しちぎった感じで入れています。

混ぜた土を機械に投入です。土の様子、機械の動き具合を見ながら、水も足していきます。

粘土が出てきましたよ。粘り気がしっかりついた粘土のようですね。

水分の蒸発を考えて、1kg強づつ袋詰めしました。並んだ並んだ、何と160kgの粘土が完成しました。ゆとりろ地下の室で静かに眠り、熟成して、来年の幕開けを飾ってもらいましょう。おやすみなさい。

おまけ:収穫祭に出店しました。創作土器やドライなはすの花托、花炭など販売しましたが、待っていましたと言ってくださる方もいて、大変うれしかったです。

2022年10月12日 野焼き

前日の11日は、こんな夕焼けが西の空に見えていて、明日の天気は大丈夫と確信しました。

当日12日の朝は、こんな朝焼けでした。朝焼けは雨になる??とちょっと心配でしたが、寒くなく、暑くなく、絶好の野焼き日和になりました。いつもの手順に沿って、まずは焚火をして燠を作ります。

その間、さらなる乾燥と温めのために、土器を周囲に並べます。

燠を広げて土器を並べて行きます

しばらくいぶして、頭のてっぺんまで黒く煤けさせます。

これくらい黒く色変わりしたら、いよいよ、本格的に炎の中に包み、焼きます。

焼きあがりました

それと並行して、別のミッションも遂行中。「古代米と汁ものの縄文調理」です。縄文土器は原則、調理器具であり器でありと生活道具だったのです。お皿とお椀は竹で作りました。

そんなこんなで、今年の野焼きも、事故もなく(人の事故ですが)無事終わりました。感謝です。

追伸:今年は甲斐駒が雲に隠れて姿を現してくれませんでした。だから‥‥‥

サングラス、帽子、覆面、皮手袋、これは野焼きの定番衣装です。

来年の干支 うさぎ流行り

今年も、なんだかんだと10月に入り、ほのおの会の制作活動も来週の野焼きを残すのみになりました。大きな作品作りが一段落したお仲間も多く、小物づくりや粘土作りの準備などをしています。お仲間の作った、「うさぎ」の数々。癒されてください。

「どんなお化粧をしてくれるの?」   「結構気に入ったよ、ありがとう」

「あなた、まだお化粧してもらってないの?素敵に色を塗ってもらってね」

「おなかがくすぐったい!」       「お耳がいい気持ち!」

うさぎの声が聞こえてくるようなかわいい作品たちです。

追伸:こちらは粘土作りの準備中。粘土質の土をおせんべいのように薄くして石を取り除く作業、もくもくとやってます。

さあ、12日の野焼きを楽しみに、良いお天気になあれ!