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今年の制作活動の集大成 文化祭発表

毎年恒例の富士見町文化祭が11月2日から4日まで開催され、ほのおの会のブースではお仲間の力作が展示されました。ご覧ください。

色々な作品が並びました。土器、土偶の複製・埴輪・オリジナル土器・縄文アクセサリーetc 6月から、ゆとりろで作ったり、自分の家でこっそり(?)作ったりして、先日の野焼きで焼き上げたものです。多少、すすが残って黒くなっていてもそれはそれ、愛嬌のあるものになってます。お仲間の”愛すべき”作品たちです。

追伸:文化祭の出品の中にはないのですが、こんな作品を作っているお仲間もいます。

このお地蔵さま、かわいいですよね。

埴輪などで顔の表現をするときに、作った人や近い人(例えば夫とか妻とか)の顔に似てくるものだなといつも感じます。このお地蔵さまはとてもかわいらしい穏やかな顔をしていますが、確かに、お仲間に似ています。

この文化祭で、一応、2024年の制作活動は終了で、お世話になった”ゆとりろ”のお掃除を残すのみです。土と砂を混ぜた粘土も作りました。来年度の活動まで、ゆとりろの地下の室の中で静かに熟成してくれるのを待ちます。今年も楽しく活動ができたこと、とてもうれしく思います。ほのおの会の活動は、先生やお仲間だけでなく、井戸尻考古館や町に支えられていると感じ、特にこの時期にはありがたさがこみ上げてきます。感謝です。

2023 井戸尻考古館収穫祭

2023年の井戸尻考古館収穫祭は、この快晴の中、盛大にそして、新しい趣向を凝らして行われました。

ほのおの会ブースです。メンバー手作り、ニューフェースの看板が人目を惹きます。人気物のドライなはすの花托や創作土器を並べました、今年はたくさんのオリジナルな土器があり、来場者の方々に、たいへん、好評でした。

”くく舞”です。今年は、太鼓演奏のもと、活動的な縄文踊りになりました。縄文時代にも、お祭りにはこんな、パフォーマンスがあったのではと思わせる、”ノリノリダンス”でした。

来年も、こんなきれいな日に、こんな素晴らしい場所で、こんな素敵な時間が過ごせることを願ってます。

追伸:特別出演

これも、ほのおの会手製の顔出しパネル。左「半人半蛙有孔鍔付土器」右「始祖女神像(坂上土偶)」

久しぶりに観蓮会が開かれました。

観光協会主催の観蓮会が開催されたのは2019年以来と言うことになります。

大賀蓮は、井戸尻史跡公園の池に咲くハスの中では、最初に見ごろを迎えます。しかし、朝の早い時間にしか見事な開花は見られません。朝7時、たくさんの来園者の方が魅せられていたようです。

その観蓮会に協賛して、井戸尻応援団の軽トラ市も開かれました。地元の方たちの手作りグッズや、ほのおの会の仲間が作った土器も並べられています。新鮮野菜も売られているのです。

井戸尻を応援する地元の方たちの手作り品、どれもかわいいです。

追伸:癒しのハナちゃん

2021年 野焼き

今年度の活動の集大成である野焼きを10月19日に行いました。前日まで空模様に一喜一憂した結果、当日は暑くもなく、寒むくもなく、風も強くなく、と三拍子そろった絶好の野焼き日和に恵まれて楽しく野焼きをして、土器を焼き上げることができました。今年は、大きな作品はありませんでしたが、それでも、井戸尻の土器やオリジナルな土器などたくさんの作品が並びました。

こんなロケーション、天気の中の野焼き、最高です
いよいよ、野焼きの始まり。焚火で燠を作り、作品を周りに熱くなるまで並べておきます
燠の中に並べられた今年の作品たち
これはほのおの中に入れる前の状態、黒いお顔にします。
2015年の画像です。このように全部の土器をほのおの中に包みます

ほのおがおさまると、焼きあがった土器が顔を出します。あの黒かった土器が、土色になって出てきます。

焼きあがったお仲間の作品。甲斐駒をバックにして記念撮影です。

コロナ禍で1年休んだのちの活動でした。コロナも気にしつつ、色々な意味での衰えも気にしつつ(正直に言います)何とか、野焼きにこぎつけて本当に良かったです。今年は、新しいお仲間が増えました。うれしかったです。井戸尻考古館や先生にもたくさん協力いただいて感謝です。何より、お仲間と一緒に協力しながら楽しく活動できたことがうれしいです。来年度は「力を抜いた全力投球」を目指そうかな。

追伸:昨日、蔦木宿道の駅より、九州の鹿児島から来た方で休憩室に置いてある複製の土器に興味のある方がいたとご連絡があり、その方とお電話でお話ししました。鹿児島から縄文の旅をして、三内丸山にも火焔土器の新潟にも行って、最後にこの中部縄文遺跡群にいらしたそうで、尖り石にも井戸尻にも行きましたと言うお話でした。その方曰く、何と言っても井戸尻が素晴らしかった、圧倒されたとおっしゃっていました。そして、蔦木宿のお風呂に入りに来たら、何と、今見てきた井戸尻の土器があると感激されたそうです。私たちの活動が、井戸尻が九州につながったなとしみじみ思い、ちょっと、胸が熱くなりました。

蔦木宿の休憩室に置かせていただいている井戸尻考古館収蔵土器の複製土器

そうぞう と そうぞう

縄文時代は限りなく遠いようです。始まりは1万年以上も前のことで、この富士見町近辺に多くの人が暮らしていたのは縄文時代中期4500年から5500年くらいも前のことだと言われてます。1000年ほどの間に暮らしていた縄文時代の人々は、土器や石器、居住跡を多く残して、現代の我々に「あなたたちと同じ景色を見て暮らしていたんだよ」と言ってくれています。確かに今は人工物が多いですが、植生は変わっても山並みは当時のままでしょう。川も同じように流れていたでしょう。考古館の史跡公園に立ち甲斐駒や鳳凰三山を眺め静かに目をつぶって、人工物を頭の中で取り除くと、縄文の人たちが見ていた景色がそうぞうできます。

史跡公園広場からの右手甲斐駒、左手鳳凰三山

土器作りに関していえば、この模様を入れるという発想は何なのか❓と、そうぞうするのです。

そして、色々な土器を作る合間に、自分のオリジナルな縄文風そうぞう物を作るのも楽しみです。

Imagin(想像:実際に体験していないことを推し量る)とCreat(創造:新しいものを初めて作り出す)

遠い縄文時代に想いを馳せ、想像したり、創造したり、とても貴重な時間を過ごしています。